最近、倶楽部の忙しさに加え不倫感覚に酩酊状態に陥ってるchikaです。 ずっと前にご紹介した事のある佐藤ゆかりさん激似の会員様が再びchikaを連続ご指名、ってか彼女、倶楽部自体お見限りだったんですが、「肉着ぐるみ」である佐藤ゆかり議員の身辺が慌ただしくなった頃に、風俗SMプレイに復帰とゆーのはどーゆーシンクロニシティなんでしょう。 不倫感覚ってゆーのは、SM風味のレズプレイをやる度にゆかりちゃんとは肌が合うなぁとゆー感覚が深まって来て、これがなんだか将来的に違う感情になって行きそうな予兆があるんですよね。 特にY字型でお互いの股をはさみ合ってグチュグチュ擦り合わせる貝合わせ(偽装だけど)なんかやると、サイズも形もぴったり(笑)。 あんまし気持ちいいんで摺り合わせしてる最中からペニクリはハードに勃起しちゃうしゆかりクリはヒダヒダの中でマリネ状態。 二人の間に精神的な結びつきなんか欠片もないんだけど、これだけ身体が合っちゃうとそこから芽生える恋愛感情みたいなのもあるのかなぁと、ちょっとドキドキ、、ってか「相方」との関係は壊せないし。・・・って、まあいいか。 さて(笑)、蝦頭ではカテゴリ・ヴィヴィアンガールズを中心に、実際に起こった性犯罪などを「例引き」にして「変態と犯罪」の境目を何度か考えて来ました。 で、最近この境目を語る上で極めて判りやすい事件があったのでご紹介します。 「変態! 女児の下着、履いては民家に捨てるを百件も」 大阪府警茨木署は2日、自分ではいた女児用の下着を民家に投げ捨てたとして廃棄物処理法違反容疑で、大阪府茨木市、会社員の男(48)を逮捕。自宅を家宅捜索し、女児用の下着など200点以上を押収した。 茨木市と大阪府箕面市では昨年6月から、女児用下着やストッキングが民家に投げ入れられたり、木に掛けられたりする事件が約100件発生。同署は男の犯行とみて裏付けを進める。 調べでは、男は9月19日から10月11日の間、茨木市内の民家3軒に、自分ではき終えた女児用下着とストッキングを投げ捨てた疑い。 「女児用下着をはくのが快感だった。捨てた下着を見つけた人が驚くのを想像して興奮した」と供述。下着は近くの店で買ったという。 まあ犯罪と言っても、他の性犯罪に比べると、一種の迷惑行為ですからかわいげがあると言えばあるんですが、人が驚くのを想像して興奮ってゆーのは「くまエリ」の例を引くまでもなく放火犯の心理と同じなので、構造的には「変態と犯罪」を考える上で、充分「例引き」にする値するでしょう。 供述通り下着を店で買っていたのなら誰に迷惑を掛けるのでもなく、ばれたら自分の社会的位置が失墜するだけの話(彼の家族の年頃の子ども達は可哀想だけど、、)つまり、単純な変態、ご同輩ですよね(笑)。 ただ自己責任の範疇に留まらず、自分の欲望が他人の生活に影響を与え始める所から「彼の変態」の意味合いが変わってくる。 その後のニュース見てたら、他人の家のドアにグラビアSM雑誌の写真をベタベタ何枚も張り付けてそばの格子に下着を結びつけたりもしてたとか。
最近、忙しくて映画館どころかDVDでさえ映画を見ることが出来ないchikaなんですが、一昨日ようようずっと前から見たかった韓国映画の「弓 the bow」を観賞することが出来ました。 これは2005年5月に韓国で公開されたキム・ギドク監督作品です。 広い海に浮かぶ船の上で「釣り船家業」生業としながら2人きりで暮らす老人と少女がいました。 少女は孫でも娘でもなく老人が10年前にどこからともなく連れて来た女性で、宝物のように育て、もうすぐ17歳になろうとしています。 その日が来たら、結婚式を挙げる──その決め事は、老人にとっては生きる目的であり、少女にとっては彼への愛と信頼の証だったのです。 老人の船で海釣りを楽しむ客たちは、2人の関係を好奇の眼で見ていましたが、2人にとって互いを想う気持ちは、空気のように自然なものでした。 ところがある日突然、少女が客の青年と淡い恋におちてしまったのです。 青年は老人を「自分の欲望の為に若い女性を海の上に閉じこめておくのは非道だ」と詰ります。 そこから始まる老人の嫉妬と少女の老人への反抗。(このあたり、少女を演じるハン・ヨルムちゃんの演技力はなかなかのものですが、ここら辺りを書くと映画評みたいになっちゃうのでヤメトキマス。) 青年の導きで少女が船を離れる朝、老人は思わぬ行動に出ます。 少女に命までも捧げようとする一途な姿に、真実の愛を見た少女は、老人の待つ船へ戻るのですが……。 ・・不思議な美しさに満ちた作品です。 2人の愛は、青年の出現に一度は揺さぶられるのですが、屈曲を経て無骨な老人と無垢な少女という奇妙な組み合わせが、真の愛を成就させる瞬間、この物語が世俗を超えた一種の「荒々しい神話」である事に気付かされます。 この映画のタイトルでもある老人が手にする「弓」は、少女を世俗から守る武器であり、ある時は形を変え少女に愛を語る楽器になり、またある時は未来を予見する占いの道具になります。 特に老人が、海上に揺れるブランコを漕ぐ少女をかすめて船体に描かれた神秘的な観音像に矢を放つという「弓占い」は、2人の間にある信頼関係の証であり、その上に未来を予測する力が宿る設定は、非常に象徴的であると思います。 現実社会の常識や道徳から遠く離れ、魂と魂で契られた、むきだしの愛。 この映画は、その「むきだしの愛」の重力に取り込まれた世界と世俗世界の対立を実に旨く表現しています。 ギドク監督は世俗からやって来た青年を配置することによって、よりこの物語の神話性を高める事に成功しています。 ただし悲しいかな、私たちは映画に登場する青年の世界に生きています。 「弓」の中で、老人は自分の少女に対する想い(結婚)が、決して結実しない、あるいは結実しても長続きしないという認識を持っていることが微妙に描写されています。 老人は何度も愛する少女に弓を向けて無理心中を図るのです。 これがラスト前の、婚儀を執り行った小舟の上で、老人が思い定めたように大空に矢を放つ鮮やかで美しくシーンに繋がっていくのですが、、。 この老人が行った事は紛れもなく、誘拐監禁であり未成年者に対する性的暴行未遂なのです。 現実世界において「むきだしの愛」や「荒々しい神話」が実現するのは、限られた事例と芸術表現と個人の妄想中だけです。 その端境にあるのがchika達の職業なのかなって考えています。もっともchika達はそのエネルギーを性的満足として途中の段階で蒸発させてしまうんですが。 冒頭の事件にたいするコメントの中で「必ずしもセックスをゴールとしないフェチの愉しみ」というものがありましたが、言い得て妙だと思います。 「(物に対する)むきだしの愛」でもあるフェチは、人を対象としない為に、ある意味簡単に成就するように見えるからです。ただしそこから永遠に逃れられませんが。 しかしまぁ、この男性をしょっ引くのに現実世界では「廃棄物処理法違反容疑」しかないってゆーのが、変態側に生きる人間からすると、とぉっても愉快なんですが(笑)。 PS ドリコムさんでブログってるShrimp headは、現在、発禁状態です。 もし再開される事があっても今後は健全な記事をめざし(笑)、縮小・月一更新にするつもりです。 要するに廃止の方向です。 過去の主要記事をこちらに移行し終わった時点でドリコムブログは消滅しますのでよろしくお願いします。
| 弓 (2007/02/23) チョン・ソンファン、ハン・ヨルム 他
商品詳細を見る 浜崎あ○みがニューハーフだったら!?
浜崎あ○みにナナなんとチ○チ○が!?そんなバカな事があるわけない?でももし本当にあったらビックリクリクリですよね!!可愛い顔してオッパイも膨らんでいるのに下半身にはしっかりチ○チ○があるニューハーフちゃんが男あさりしちゃいます!!彼女?の大胆!妖艶!不思議な世界をお楽しみ!!
|
|