「今、流行のblogでもやってみようかな、、、」って思ったのが、かれこれ5年ほど前の頃。で、Webの世界ではサイトタイトルが凄く重要で(Webサイトの存在は、人の記憶とブックマークと検索で成り立ってる、その意味で言って、内容は変えられてもタイトルは途中で変えられないのだ。)色々と悩んでいた。 その内、chikaのおピンクで小さな脳味噌では、難しい事など考えきれない事に気付いて「タイトルの命名なんてどうでもいいや」って開き直ってしまったのである。 小さい頃、男の子の癖に「桃の節句」に憧れていたのは別にニューハーフになるのを宿命づけられていた為じゃなくて(笑)、「モモのセックス、桃のセックス、桃のセック、桃の節句、バンザーイ」みたいな、ただの脳味噌の足りないエロガキだったせい。 でも皮肉なことに「天啓」は、道ばたに捨てられたスポーツ新聞がエロな写真をひらひらさせるように、ある瞬間、chikaにそのスケベな顔を見せたのだ。 chikaのピンクの小さな脳味噌、、そしていつか何処かで海老味噌を食べると精力付くって話も思い出して「海老の脳味噌」blog、、、でもお洒落じゃないしと、、いじいじと再び思考の迷路へはまり込む寸前に見ていたのが上のイラストなのだ。 これよ、これ、『シュリンプヘッド』!! 透明ラバーに全身を包まれて体中の突起と穴につながれた快楽チューブを見せびらかす変態シーメール。 恐らくこのイラストを見て「海老の頭」を連想する人はいないと思うんだけど、何故かchikaにはこのイラストがシュリンプヘッド命名への決定打になったのだ。
chikaは足先を舐められるのが好きだ。 最初は足の指や付け根を一本ずつまったりと舐めさせて、最後には相手の口に足の指先を全部くわえさせる。 目を瞑ると陶然とした感覚が全身を包む。 chikaの身体が相手の口を入り口にしてまるでストッキングを穿くように、相手の身体にズッポリと潜り込んでしまうイメージ、、。 やがてchikaの身体はchikaを丸飲みしたオトコの中で解体され、無数の小さな断片的な意識と共に肉の海の中に漂い浮かぶ。 ちりぢりの神経組織が蛍光ピンクに発光しながらとりとめもない思考を繰り返し、その存在を発信する。それがシュリンプヘッド。 そしてシュリンプヘッドは、排泄物として海へ回帰し、海を泳ぎ回る巨大でどう猛な怪魚にひと飲み、、。 寿司屋のカウンターで隣の男の腕のスケベな熱を感じながら、chikaは白く輝く米粒の上に載せられた何処かで見覚えのある肉の断片を眺めている。 マンションに帰ったらシュリンプヘッドを更新しなくちゃと考えながら、、。
白く艶やかなセラミックで形成された、中身のない太股や腕、胴体、頭部の殻。 それらがアタシの全身を一片の隙間もなく覆い尽くしている。 アタシのセミロングの髪もペシャンコになって極薄のヘルメットみたいな人形頭部の裏側に収まっていて、時々感じるむず痒さに手を伸ばそうとするのだけれど、勿論、人形に閉じこめられているアタシは腕さえ上げることが出来ないでいる。 アタシを動かすことが出来るのは、アタシの全身を覆っているセラミックパーツの結合部分にある締め付けネジと、それを開け閉めする権限を持った人間だけだ。 視野の限られたアタシの人形の瞳に、人影が映る。今夜は「男」らしい。男は、、足を軽く引きずっている、、老人だ。 老人はアタシに近づいて来て、雪に落ちた牡丹のような仮面の唇から10センチほど耳の方向へ水平移動した所にある開閉ねじを回し始める。キリキリキリ、、。 アタシは老人の企みが判ったから、その動きに逆らって口を閉じようとした。 でもセラミックの仮面の裏側に取り付けてある太い針金のような金具が、アタシの口の中に差し込まれており、それがジャッキの役目を果たしていて、どうしてもあがらえきれない。 やがて人形の仮面からむき出しになったアタシの口に、老人のニコチン臭い息と、死に損ないの舌が侵入してくる。 悲鳴や罵声の変わりに人形の口の下に隠されたアタシの口から流れ出るのは、アガアガという情けない声と、恥ずかしいくらいに流れ出る大量の涎だ、、、。 ・・・昔書いた小説のあるシーンを少しアレンジして紹介したんだけれど、このシーンは総て想像で書いているわけではない。セラミックをラバーと読み替えて貰えば、ラバーフェチの方やSMに興味をお持ちの方なら、これがある程度の体験を基に書かれたものだと想像がつかれるかも知れない。 ラバーによるボンデージだ。chikaはこの時、自分が人形という物体になることを思い描いていた。
Webで仲良くさせて頂いている方と、昔、「人形」についてのやりとりをした。 自分自身が人形になりたいとか、人形に対してフェテッシュな感情を持つとかという「人形熱」、、一度はchikaも罹りかけたのだけれど、それは若い頃の話で、今はかなり冷めている。 (これって、ひょっとすると他の人形フェチの方とは順番が逆なのかも知れない) chikaがサブカルチャーの中でも特別扱いされるような「人形」の世界に傾倒し始めた昔、たまたまハンス・ベルメールの球体関節人形にであい、他の人形への興味が総て吹き飛んでしまったのだ。 でも、よくよく考えると四谷シモン以降の人形は、多くの場合、ベルメールの影響を受けているはずだから(この「後先」から考えて)ベルメールの人形を見た後で、四谷シモン系の人形が詰まらなく見えるという事は本末転倒しているのかも知れない。 その「転倒」は、西洋では球体関節を用いる人形作りがそれほど特異な技法ではないのに、何故か日本人にとっては、ベルメールの関節人形と接触した際に、非常にキンキィな文化ショックを受けるという事実と重なるのかも知れない。 サド、バタイユに熱烈な共感を寄せる孤独な肉体幻視者・ベルメールが目指したのは「人形」ではなく「イデア上の生身の少女(矛盾表現だけど)」あるいは「彼女の苦痛」だった筈だ。 それに対して、日本の人形師達に取り込まれたベルメール人形は、あくまで「エロスの宿る人形」という隠微性だったのではないかと思うのである。 もっと正確に言うと、当時のchikaは、ベルメールに倒錯的ながらも「血と肉」の可能性を感じ、四谷シモンらの人形に、甘い腐臭さえ匂うナルシズムの閉塞感を感じたのかも知れない。 だから奇妙に思われるかも知れないけれど、ベルメールの日本における正当な継承者は、四谷シモン系ではなく、日本人形にルーツを持つ辻村ジュサブローではないかと考えている。 少なくともジュサブローの人形からは、人の「生臭いナルシズム」は流れ出してこない。 まあこんなchikaだから、人形フェチについては、「人形創作は芸術というより呪術行為に近い」というぐらいの認識を基に、「人形フェチ」の幅をもう少し広げて、ボーグの「スーパードルフィー」や、美少女フィギュア・リアルドールの世界まで、果ては人のラバードール化嗜好までを比較検討していくつもりでいる。 人間が自らに似せて「人の形」を作り出して来た行為と、作り出された「人の形」と人がどう関わるのかが、とても興味のあるところだからだ。 例えば「リアルドール(ダッチワイフ)」と「スーパードルフィー」の差はどこにあるのかを考えてみる。 ドルフィーへの過剰なまでの傾倒は、気持ちの悪い「おたく」がやることと思われるかもしれないけれど、一般の人々がペット動物に「○○ちゃん」と名付けて人間のようにかわいがる」神経と、紙一重なのではないかと思ってみたりしてる。 要するに「健全な人々」が、それらの行為を嫌悪するのは、そこに性的な臭いがするからなのではないか。 では人形愛の何処からが性的な部分なのかというと、人形に対して人は「なんでも出来る」ということだろうと思う。 等身大のリアルドールに対しては、実際の肉体に加えられる妄想上のことならなんでも出来るし、ミニフィギュアに対してなら、その「小ささ故」に「可能な事」は、もっと広がるだろう。 これを生身の人間に当てはめれば虐待でありレイプであり監禁であり、、当然、立派な犯罪になる。 しかしここで、元来「人形」はなんの為に作られたのかという問題が浮上してくる。 そう、人形は「身代わり」なのだ。 そこに魂がないから(あるいは魂があるが現実的な肉体をもたない存在として)人形は、人の代わりに、墓に生められ河に流されて来たのだ。 chikaは、かなり精神的に不安定な時期に、真剣に「人形」になりたいと思った事がある。 人形になって惚れた男に抱かれたい、蹂躙されたいという思いは、後になって考えて見ると、相手への恐れや自分自身への不安の象徴なのだという事はよく判るのだが、、その人形化への「思い」は、夢分析に登場する「夢」のようには軽くはない。かなりずっしりとした手応えがあるのだ。 chikaのラバーフェチは、弟に感化された結果のものだが、おそらく自分自身の深層心理では、ラバーを纏うことによって人形化への願望を充足している部分があるのだと思う。 そして肉体的にも、ラバー着衣によって己の動物性を遮断し無性化し、ある種の「安心感」を得ているのも事実だ。 人形を作るという行為、人形を手元におくという行為も、どこかそれに似たところがあると思う。 突飛な発想のように思えるかも知れないけれど、女性の間で「毛穴の無い肌」が一種の理想として語られる時、人形化への指向は誰にも潜在的にあるような気がする。 まあ大げさに言えば人形作りや愛玩は、人間存在の不完全さへの「補完行為」であったり、「癒し行為」であったりするのではないかと思うのである。
催眠人形 ~時計仕掛けのヒプノドール~ 眠りの森女学園編 優秀な生徒が多い女学園で秘密裏に行われている『面接』という名の『催眠術』を使った『催眠人形』の作成。『催眠術』をかけられたことで、男子生徒・先生・権力者の餌食になる女子生徒たち。色々な催眠術シリーズで数少ないドラマ形式でのDVD。特に『ダッチワイフ人形』の完成度の高さは圧巻です。
M女装子物語
世間では女装する男の子が増えているそうです。でもそんな風にはみえません。それは純女と区別できないほど可愛くきれいな女装子が増えているからです。そしてほとんどの子がMです。痴漢が好きなS男にとっては都合の良い獲物なのです。彼女達は少しでも女に近づこうと大変な努力をしています。そんな子達がはってん場やホモ達のたまり場の映画館に足しげくかようのはやはり直しようのないマゾだからです。
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